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172:ACのCM 「こだまでしょうか」

2011/04/29 (Fri) 01:28
震災からしばらくの間、広告の自粛の影響で、
公共広告機構(AC)のCMがテレビで頻繁に流れるようになった。

金子みすゞの詩をモチーフにした広告が特に印象的。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう
「ばか」っていうと
「ばか」っていう
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう
「こだまでしょうか」
「いいえ、だれでも」


優しい朗読の声が印象的だが、
素で読むと、背筋も凍るような怖い詩であると思う。
感じ方には個人差があると思うけど。

詩の内容もさることながら、このCMに私が惹かれる
一番の理由は、音楽と映像にある。


このCMでは、最初に映し出されるのが、高速道路。
このCMははじめから、都会の子供を意識しているようだ。
私は小学校2年生から3年生の2学期まで東京都の新宿区に、
3年生の3学期には港区に住んでいた。
このACのCMを見ていると、都会で暮らしていた当時の
心象が、ありありと心のなかに蘇るのだ。
それは、都会の喧騒の中に突然現れる静けさに感じる、
ある種の物悲しさとでも言おうか。

こだまでしょうか
特にこのシーン(↑の写真)は、当時住んでいた近所の路地裏と
雰囲気が良くにている。(もちろん同じ場所ではないが)
濡れた路面が、その物悲しさをさらに強調する。

さらに、悲しいとも言えず、楽しいとも言えないBGMが、
画面に釘付けにさせる。
音楽はこちらで→ http://nicosound.anyap.info/sound/sm13890065 (耳コピ)

訴える対象がはっきりしないし(対象は子供だけでもないようだ)、
ミステリアスな詩の朗読といい、なかなか難しいメッセージを
発しているCMだが、私の思い出の奥底に沈められたものを
浮かび上がられる力を持っているとは、さすが、
いい加減に作っていないところが素晴らしいと思った。
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Written by: dicdic
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171:他の原発は大丈夫なのか?

2011/04/12 (Tue) 23:15
■ヤバい原発は福島だけではない
福島第一原発の事故レベルを、レベル7相当とすることが検討されているらしい。新聞やテレビでは震災と福島第一原発の話題で持ちきりだが、ヤバい原発は福島だけではない。《放射能が漏れていない=事故っていない》という定理は成り立たない。事故を起こしている原発は多くある。釜の中で何とかコトが収まっているから報道もされないし、何も問題がないように見えているだけだ。特に問題なく動いていた福島第一原発の1~4号機が、たった一度の津波であの有様になったことを考えると、スレスレのところで有事を食い止めているような原子炉は、今回のような地震が起きたら一体どうなってしまうのか。考えただけでも恐ろしい。

■炉内中継装置落下事故(2010.8)
福井県敦賀市に高速増殖炉「もんじゅ」というのがある。去年(2010年)の8月、その高速増殖炉で炉内中継装置(重量3.3トン)が炉内に落っこちるという事故が起きている。そしていまだ回収できないままだ。炉内中継装置というのは、炉内にある燃料を取り出すための装置。この中継装置が機能しないということは、燃料が回収できないということ。燃料が取り出せないので廃炉にもできないし、運転することもできない。しかも始末の悪いことにこの中継装置、どうも炉内に引っかかってしまって容易に取り出すことができないのだ。東芝がこの仕事をかって出た(正確には、落札に参加したのが東芝だけ)そうだが、失敗に終わっている。この中継装置の除去作業に追加で莫大なカネが掛かることになってしまったが、見通しは暗い。運転もせず、廃炉にもできず、どうしてるかというと、ただひたすら冷やしているという状態。冷やすというと、福島原発のように水をブッ掛けるイメージがあるが、このもんじゅに関しては、そうはいかない。よりによって、冷却材にナトリウムを使っているからだ。中学や高校の頃、ナトリウムを水に放り込むと水面で弾けながら激しく火を噴いて反応するという実験を見たことがないだろうか? もんじゅの場合、冷却材にナトリウムを使っているので水をブッかければ大爆発を起こす。今のところ、制御棒だけで核暴走を制御しつつ、ゆっくりと冷えるのを待つという手段しかない状態。それには約50年かかるという。毎日毎日1億円以上もの公金を投入しながら50年以上もの間冷えるのを待つだけ。
この中継装置の除去作業を担当している課長さんが今年(2011年)2月、敦賀市内の山中で自殺しているのが発見された。その翌月に東日本大震災が起きている。

■プルトニウムの致死量は4000万分の1g
いま敦賀で、東日本大震災と同じような地震が起きたらどうなるか。増殖炉は制御が効かなくなり、核暴走を起こすだろう。もんじゅの内部には、長崎に投下された原爆の数百倍のプルトニウムが入っている。爆発が起きれば、これが一斉に空気中にバラ蒔かれるのだ。いつ核暴走が起こるかも知れないプルトニウム増殖炉を完全に停止できないなんて...。こんなものが狭い日本、とりわけ本州のど真ん中に位置しているなんて...。
プルトニウムは、人類の生んだ最強最悪の毒物である。肺に対する致死量は1/40000000gであり、これはひっくり返せば、1gで4000万人を殺せるということである。半減期も24000年と長い。こんな物質が、この狭い国内で何十トン単位で生産されている事自体、異常な事態であることを認識しなければならない。

■世界一危険な原発
敦賀は日本海側だが、もう一つ言うと、太平洋側に立ち並ぶ原発の一つに美浜原発というのがある。これがまた、「世界一危険な原発」とか言われちゃってて、いつ起きてもおかしくないと言われている東南海地震を起こす活断層の真上に立っているのだ。

■高木仁三郎先生が生きていたら...
高木仁三郎先生(=写真)が生きていたら何と言っただろう。せめてあと15年生きていてくれたらと思う。
高木仁三郎

私が原発に関して初めて問題意識を持ったのは、高校の現代社会の授業でのことであった。学習塾の講師をしていた時代には、中学の理科の授業で原発の問題を取り上げた。そんな最中、東海村JCO臨界事故が起こり、私の授業を受けた生徒の一人は自主的にこの問題について調査し、「原発は絶対やめるべきです!」と毎週のように訴えてきた。その生徒と高木先生の著作を通して何度も語り合ったことも懐かしい。しかし、その時ですら私は、原発は必要悪として、うまく制御しながら付き合っていくほかないという態度を変えなかつた。しかし私も、ここにきてようやく考えが変わってきている。
電力需要を呼んだのは我々一人ひとりだから、国や電力会社のあり方を一概に責めるわけにはいかない。しかしこれからは、国民一人ひとりが少しずつ生活をあらため、全体として電力需要が原子力以外の発電で賄えるように努力していかざるをえないだろう。与謝野が「生活レベルを江戸時代まで戻せば」などと極端なことを言っていたことには驚いたが、そこまでの必要はないだろう。大勢が一斉に行うことの効果は思ったより大きいはずだ。先月から節電モードに入った地下道やオフィスを見ても、特に不自由だとは思わない。今までが明る過ぎたのだ。

もはや需要がどうとか、経済活動がなんとかとか、株主が何とかとか言ってられない。専門家だけではなく、我々国民一人ひとりが真剣に考え、議論すべき問題だと思う。
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Written by: dicdic
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170:死の覚悟

2011/04/01 (Fri) 19:49
今晩から週明けにかけて、
一年間行ってきたシステム開発の集大成として、
本番リリースの作業を行います。
今日の深夜からマシン室に缶詰になるので、
今日の日中は休みとなり、手賀沼を走りました。
桜がほころび始めています。
↓柏市高田の公園で撮りました(クリックで拡大)
201104011245000s.jpg

平日ということもあり、走っている人は
あまり見かけませんでしたが、
中にはマスクをしながら走っている人もいました
放射能対策でしょうか?
それとも、花粉症対策かな?

それにしてもよく晴れていました。
↓飛行機雲です(クリックで拡大)
201104011416000s.jpg

過剰な防衛をしながら外出している人から、
丸腰で散歩を楽しむ人など、様々です。
私は放射能防御対策は全くなしです。
実際、大学でやった核化学の知識に照らしても、
私の住んでるあたりでは、全く気にする必要はない
レベルだと考えています。

でも、いよいよという事態になったら、ジタバタせず、
静かに死を選ぶのも一つかな...なんて思います。

あの地震以来、大勢の知らないサラリーマンたちと
20km以上もゾロゾロと国道を歩いて帰ってきたことや、
その翌日の大渋滞、ガソリンを買い求める車の列や、
スーパーで競うように水や食料を買い漁る親子の姿を
見るにつけ、「そこまでして生きたいのか?」という
疑問が沸いてくるようになりました。
しかし果たして自分はどうなのか?
と考えたとき、じたばたした挙句、逃げ延びることが
できずに野垂れ死にするぐらいなら、
慣れ親しんだ場所で静かに覚悟を決めて死にたいとも
思います。

日本人は「死」をはじめとした、"安全でない状態"を、
あまりにも遠ざけすぎてしまったと思います。
結果、いざ、そういう事態が発生したときに、
あわてふためいてしまって、みっともない姿をさらしたり、
恥ずかしい行動をとったりする。

英国人、中でもロンドン近郊に住む人たちは、
自分の死の理由について、多くの人が、
病気や老衰を想像するのではなく、
「自分はテロで死ぬだろう」と予感しているという。
あの英国人がである。
そういう状況の中では、「死ぬときは死ぬ」、
「自分はいつ、テロの巻き添えになっても不思議ではない」
という認識が、一種の覚悟という形で一人一人の
精神の中に立ち現れることになる。

自分の命が消えるということは、大変残念なことでは
あるけれども、いずれ必ず死ぬのなら、ある程度の
覚悟は必要だろう、覚悟を決めるには、
自分が「いよいよ死に臨む」となったときの状況に
想像がいくが、今回の震災で見せつけられたさまざまな
シーンが、いつ、自分の身にあっても不思議ではないと
自覚することが大切だ
今回の震災で犠牲になった方々の多くは、まさか、
自分がこのようなかたちで死ぬことになるとは
想像していなかったと思う。

私はかなり内陸に住んでいるので、津波が襲ってくる
ことはないだろうけれども、地震で建物が倒壊し、
瓦礫の下敷きになるかもしれない。
あるいは原発から出た放射性物質で汚染された水を
長年飲み続けることで、癌になるかもしれない。
でもその時、
「もっとミネラルウォーターを買っておけばよかった」
とか、
「クソッ、あの時グズグズしていた東京電力のせいだ」
とは思いたくない。

不幸や死を受け容れる覚悟は、ある意味、
本当のいざという時に、自分を幸福に保つことができる
ための、大切な要素であり、不幸や死を避けることに費やす
膨大な心的、体力的なエネルギーは、かえって、
その見返りは案外と小さいと心得なければならない。
そんな風に考えた。
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Written by: dicdic
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