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112:恐怖のバイオリズム

2009/05/27 (Wed) 23:25
 昨日まで、大変な不調の中にありました。立っているのもつらいほど。そもそもの始まりは、2週間前の坂路での20km走でした。走った直後は、いつもよりちょっとキツ目の疲れを感じた程度でしたが、翌日夜から悪寒。インフルエンザではないことは間違いないのですが、発熱し、その後約10日間の間、小康状態が続きました。

 もしやと思い、バイオリズムをチェック。今はwebで瞬時に描画してもらえるので便利になりました。
で、得られたグラフがこんな。↓
20090626a.gif
あの坂路トレーニングの日は、身体の要注意日でした。しかしその後は高原状態で、10日ものあいだ不調が続いたことの理由がつかめません。

 で、つぎに見たのが、P、S、Iの合成 (合成関数じゃないよ) の値のグラフ。

20090626b.gif
やはり、10日ものあいだ不調が続いたことの理由がつかめません。




 えっ。。。。

なんか、グラフの右の方がズドーんと落ちてる。。。。

ちょっと日付をずらしてみると、、、、



ズドーン
20090626c.gif

  これはなかなかショックがでかいです。まぁ、その後には高い高原がありますが。

 たまたまですが、今、フーリエ展開と級数について勉強しています。「波のスペクトル分析」ってやつです。  Excelを使って、P、S、Iの正弦波を作って、合成したり、ズラしてみたり、遊んでみようと思います。  疑似科学と言われているバイオリズムですが、位相をちょっとズラしたり、何かの関数を合成したり、項を挿入することで正確性が増すかも知れません。

ちょっと勉強してみようかな。。。。

参考サイト
http://www.facade.com/biorhythm/

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Written by: dicdic
http://dicdic.web.fc2.com/index.html
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テーマ : 科学・医療・心理 - ジャンル : 学問・文化・芸術


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111:「《子ども》のための哲学」 (永井均) を読みました

2009/05/19 (Tue) 21:45
先日、竹田青嗣の本を読んだ流れで、永井均の本も読んでみようということになり、「《子ども》のための哲学」を読んでみました。 

まず読んでみてすぐ分かったことは、これは子供向けの本ではない、ということです。 タイトルにある《子ども》というのは、《子ども》の発する問いを理解できる、または覚えている人という意味に捉えることができると思います。 
20090519.jpg

「《子ども》の発する問い」の一つは次のようなものでした。 
「この世は自分一人の人間のために演じられている大がかりな劇なのではないか」
筆者が子供のころに抱いたこの疑問は、私も共感できるものでした。 私自身が子供のころにぼんやりと抱いていたこの独我論をそのままなぞったようなこの記述は、私が生まれて初めて触れるもので、とても驚きました。 しかし、「自我」、「自意識」、「わたし」、「ぼくはB」、「ぼくではないB」。 こうしたつきつめをしていくと、自意識ではなく「魂」とも呼ぶべきものを相手にしていることに気づきます。 ここまでくると、考える対象は「意識」ではなく、「命(生命体とは違う)」ということになってきます。 「これらは結局、形而上学的な問いであると言えないだろうか」、そう思ったとき、興奮が冷めてしまいました。 これは「哲学」ではなく「宗教」ではないか? しかし永井さんは、その可能性については触れません。 自己満足の世界でクローズせざるを得ないことを延々と考え続けることも、哲学と呼んで良いのだと知りました。 

永井さんの思考方法は、確かに非常に注意深いし、共感できる部分がとても多いのですが、僕自身の感度としては、これを「哲学」と呼ぶには、他者と共有・共感できる領域が狭すぎるのではないかと思いました。 フッサールっぽく言えば、エポケーしなければならない部分が多すぎるのです。 
「これが僕の意見だから、よろしく。  ま、べつに読んでくれなくてもいいけどさぁ」
こんな調子にしか聞こえません。 しかも巻末近くなって、永井さん自身、これを認めてしまっています。 ここでがっかりしてしまう人と、「やはりそうか」と納得できる人との違いは、「哲学を学ぶこと」と「哲学すること」を区別できているかどうかの違いなのではないかと思います。 それにしても、『「哲学する」ために「哲学を学ぶ」』ことが、そんなに有害なことなのかしら? 確かに、過去の哲人の思考パターンにコミットしてしまう人は多いかもしれませんが、みんながそうなるわけではないし、そうならないように注意すればよいだけなのではないかと。 

「自分で考えたい」のか、「学びたい」のか。  仮に哲学に無垢な人が幸運にもこの本にめぐり合ったとして、その無垢な人が、無垢でありながらも、「哲学に何を求めるか」によって、この本の感触は違ってくると思います。  

私も「自分で考えたい」です。 しかし過去の哲人の智恵と絡ませながら昇華していけるような思索を馳せるには時間がなさすぎるし、自己満足に終りたくはありません。 だからまずは「学びたい」という意識を持つのではないかと思います。 


「学問」は、どんな領域であれ、人間の役に立たなければ意味がありません。 哲学は、他者と共有できる領域をいかに見出せるかというのが、大きなポイントです。 それが見出せたら、その他者と共に新しい領域へと一歩踏み越えていかなければならないと思うのです。 この辺の、哲学に対する「感度」の違いが、永井さんと竹田さんの仲の悪さ、すれ違いの理由だと感じました。 立っている土台が違うので、話して分かるものではないと思いますが、永井さんは、竹田さんを無理やり自分の土俵に連れ込もうとしているようにも見えます。 これでは竹田さんに相手にしてもらえないのも当然のような.....。 

今回の竹田さんと永井さんの読み比べ。  たったの1冊ずつですが、2冊目を読んでみたいと思えるのは、竹田さんのほうでした。  永井さんのほうは....機会があれば、『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩)を読んでみようかと。 

現在は竹田さんの『哲学ってなんだ』(岩波ジュニア) を読んでいます。 

テーマ : 最近読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌


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