最新記事

月別アーカイブ(タブ)

dicdicのランニング

カウンタ (ホームページと合算)

リンク

最新トラックバック

検索フォーム

カテゴリ

QRコード

QR

カテゴリ内記事一覧

:スポンサーサイト

--/--/-- (--) --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告

94:蜂蜜劇場 『水びたし』 を見てきました

2009/01/31 (Sat) 19:48
芝居に生き、様々な役柄を演じる人たちにとって、
アイデンティティは、一つの大きなテーマなのかもしれない。

蜂蜜劇場の 『水びたし』 を見てきました。
http://honeytheater.blog.so-net.ne.jp/

登場人物は、冒頭から、軒並みアイデンティティを取り上げられてしまう
「自分を確認する記号」である「名前」が、あやふやで定まらない猫の道子
彼女は、あるときはチコであり、あるときはミー。
高校の電気科教師の諸星は、昼と夜は別の顔。
学校の守衛は、家に帰ると、体の不自由な妻の看病を。
ある時は呑兵衛であり、ある時は悪魔にもなる土方のおじさん
みな、定まった自分を持たないながらも、「今現在」の自分を
演じるので精一杯。「自分は一体何者か?」という問いも、
ドタバタの中にかき消されてしまう。

夜の学校で35年間ひたすら自習を続ける西条。彼は自分が
死んでしまったことに気づいていない。あの世もこの世も区別がないので、
死んでしまったことが自覚できないのだ。
こうして、登場人物たちは、リアリティすらも取り上げられてしまう
現実なのか、夢なのか、幻想なのか、死後の世界なのか、はたまた
テレビの中の世界なのか、はっきりしない。この世だとかあの世とか
いうのは、現在の場所との区別のために言っているだけであって、
どっちが「この世」だなんてことは主張できない。
どこに居ようが、バルドー(途上)に過ぎないのだから。

「自分」と「世界」、生きるための基盤となるこの二つの要素の徹底した
相対化
によって、見ている側も、「今、何を見ているのか?」が
よく分からなくなってくる。

そんな中、近代史の出来事のいくつかが生々しく語られる。
ランボーの詩を滔々と朗読し、パリ・コミューンの悲劇を
学生服姿で熱く語る西条は青臭いが、しかし登場人物の中で
唯一「未来」を志向する一筋の光のようにも見える。
諸星は、1988年に起きた北海油田事故の生々しい悲劇を熱く語る。
わずか1時間の間に起きた悲劇への予兆と、大惨事の現場の悲劇が語られる。
事故現場のディテールのほんの一部であろうが、現場のイメージを
鮮明に掻き立てられるあまり、「もうたくさんだ」と叫びたくなるほど。
台詞を覚えるだけでも相当大変だったろうと思う。
歴史の1事件でありながら、160人の犠牲者にとっては、現実のすべてだった。

裏方さんが漢詩を中国語で読み上げてくれたり、
バグパイプが生演奏される一幕も。
場面ごとにコントのような掛け合いや、意味深な独白が。
「雪の降る街を」は、理屈抜きに楽しい。

物語が発散しっぱなしで、どこにも収束しないし、統合もしない。
西条の卒業式が、登場人物たちにとっても、観客たちにとっても、
殆ど唯一の救済だった。しかし卒業式もやはりバルドー(途上)に過ぎない。
『このへんに「未来」が』、『このへんに「未来」が』と繰り返しながら
歩みを進める諸星と西条の姿が印象的だった。

帰りの電車で、カミさんが、
「実はわたし、小学生のとき演劇部だったの」
と突然の告白。
「えーーー! そんなこと全然知んなかったよ!」
「だって言ったことないもん」
とカミさん。

お芝居を見た夜は、頭の中で思考がグルグルと回りっぱなしの私でした。
----------------------------------------------
Written by: dicdic
ホームページ↓
http://dicdic.web.fc2.com/index.html
----------------------------------------------


スポンサーサイト

テーマ : 演劇 - ジャンル : 学問・文化・芸術


お芝居コメント(0)トラックバック(0)|

ブログ TOP


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。