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226:湯汲英史 『切りかえことば22』

2013/02/03 (Sun) 12:52
■湯汲英史 『切りかえことば22』
  

■図書館で借りた

■目次を読むだけでも参考になる

■目次
 1章 違う刺激に気持ちを向けさせることば
  切りかえことば1 「いたいの いたいの とんでいけ」・・・・さわる刺激で気分転換
  切りかえことば2 「トントンね」・・・・リズムで安心する
  切りかえことば3 「おそとにいくよ」・・・・多様な刺激で気をそらす
  切りかえことば4 「おうた しよう」・・・・いっしょにすることで楽しくなる
 2章 区切りや優先順位をはっきりとさせることば
  切りかえことば5 「泣くのはおしまい」・・・・終わりをうながす
  切りかえことば6 「これで いいよ」・・・・だいじょうぶと伝える
  切りかえことば7 「○○したら今度は□□ね」・・・・やるべきことを整理する
  切りかえことば8 「○番目にやってほしい」・・・・順番を示す
 3章 気持ちを表すことば
  切りかえことば9 「おいしね」・・・・価値観を共有する
  切りかえことば10 「仕方がないね」・・・・前向きな気持ちにする
 4章気持ちの強さをコントロールできるようにすることば
  切りかえことば11 「黙って聞こうね」・・・・ルールに従う
  切りかえことば12 「半分の力で投げてごらん」・・・・調整力をつける
  切りかえことば13 「○歳はお兄さん」・・・・期待されている内容を知る
 5章 待つことを通して、がまんする力をつけさせることば
  切りかえことば14 「手はおひざ」・・・・よく見て、よく聞いて学ぶ
  切りかえことば15 「あとで」・・・・期待しながら待つ
 6章 いまの視点を変えさせることば
  切りかえことば16 「ほしいものは なに?」・・・・期待し行動する
  切りかえことば17 「約束する」・・・・決まりをつくる
  切りかえことば18 「~かもしれない」・・・・やわらかい見方をする
 7章 気持ちや思いをはっきりさせることば
  切りかえことば19 「いや」・・・・正直に気持ちを表す
  切りかえことば20 「わからない」・・・・伝わるようにいう
 8章 報告や確認で自信をつけさせることば
  切りかえことば21 「きのう なにをしましたか?」・・・・子どもへの関心を示す
  切りかえことば22 「これでいい?」・・・・まわりから学ぶ

■昔からのシンプルなコミュニケーションにこそ大切

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163:オライリーの「リファクタリング・ウェットウェア」

2011/02/27 (Sun) 15:01
オライリーの「リファクタリング・ウェットウェア」を購入しました。
オライリーといえは、アニマルシリーズが有名ですが、この本の表紙は動物ではありません。ニューロン髄鞘の繋がりを描いたイラストです。
20110227.gif


オライリーは、「SEの時間管理術」や「MIND HACK」など、技術解説書以外の本も出してます。それらは海外の著者による、日本人のノウハウ本とは一味違った視点からのアプローチで解説しており、読みやすく、しかも今までの啓発本ではなかった面白さと納得を味わうことができます。

今回購入した「リファクタリング・ウェットウェア」もその一つです。まだ購入したてで、20ページほどしか目を通してませんが、ここまでに強調されている言葉の一つである「コンテキスト」について一つ思ったことを。

「コンテキスト」とは、「状況」とか「背景」とか「文脈」などと解釈されることが多いようです。ITの世界では、「コンテキストメニュー」とかいって、「右クリック」一つについても、どのような画面の時に、どこで「右クリック」されたかによって表示されるポップアップメニューが異なるといったような、「状況」に応じた動作の違いなどを指したりします。
この本の中では、「コンテキスト」という考え方を、技術達人(我々の間ではしばしば『職人』などという言われ方をすることもある)がとる直感的な行動と絡めて論じています。【標準化】、【均一化】、【可視化】といった文化がIT業界の常識になりつつある今、それに真っ向から反するような説が展開されていきます。【標準化】、【均一化】、【可視化】を叫びながらも、結局最終的には職人の経験と直感に頼っている現状に矛盾を感じていた私の違和感が、あながち間違ったものではなかったことを確認させてくれるものです。バクと、それによって引き起こされる損失を恐れるあまり、ソフトウエアの開発は年々非効率で、柔軟性を欠いたものになりつつあります。可視化に固執するあまり、管理業務が増え、開発自体が滞り、結果的に肝心の開発を第三者に丸投げし、最後は最悪の品質のものが出来てくるといったことは珍しくありません。そしてそれを避けるために、面倒な管理手法がますます増えるといった悪循環が起きています。かつて現場にあったような「モノづくりの楽しさ」や「顧客と共有する発見の楽しさ」はそこなはなく、つまらない仕事と最悪の品質、人材の流出、後継の人材が全く育たない環境がそこにあります。
ちょっと脱線しましたが、「コンテキスト」とは、職人がコンソールをいじったときに得られる前言語的な微妙な感覚を呼び覚まさせる何らかの「状況」ことです。それをもとに全体としてどんな問題が起きているのかをアタマの中で再構成(リファクタリング)し、対処します。

ハイコンテクスト文化(高コンテキスト文化)とは、こうした「状況」をじっくり観察し、感じ取り、考慮に入れることが重要視される文化のことです。「以心伝心」の言葉に代表されるように、日本はハイコンテキスト文化が優位の国であると考えられがちです。事実、どんな分野の職場にも職人と呼ばれる人がいます。しかし現代においてはどうでしょう? かつては、「言わなくても解かっている、だから野暮なことは敢えて言わない」だったのでしょうが、現代では「敢えて言わない」ではなく、「面倒だから言わない。言わなくて良いので何も考えない」という発想が優位のような気がします。欧米は、「解りたい(解ってほしい)ので聞きまくる(説得しまくる)」という文化です。このような文化を、ローコンテキスト文化(低コンテキスト文化)と呼ぶそうですが、私はこの言い方には違和感を覚えます。なぜなら、「解りたい(解ってほしい)ので聞きまくる(説得しまくる)」という発想は、結局のところ、「コンテキストを詳しく把握する」という状況を志向しているので、むしろ【ハイコンテキスト志向型】と呼ぶべきものではないかと思います。本当の低コンテキスト文化とは、最近の日本にみられるような無思考型の文化なのではないかと。

例えば、あなたが電車に乗っているとします。汚れた作業服の男性が、ヒゲぼうぼうのくたびれきった顔をして乗ってきたとします。これを見た人が想起する感情とはどんなものでしょうか。

(①男性そのもの)
男性そのもの

(②男性の状態)
汚れた作業服、不潔な無精髭、くたびれきった表情

(③男性の状況)
3日3晩の間、突貫工事が続いていた。直行直帰の出張作業だったため、シャワーを浴びたり、着替えを調達することができない状況だった。etc...

高コンテキスト文化と低コンテキスト文化の違いは、②の把握から③の考慮への移行がどの程度スムーズであるかによると思います。人は見かけで判断してはならないとよく言います。しかし電車の中のように、まったくコミュニケーションの機会がないような場合、どのような感情が想起されるでしょうか? 「人は見かけで判断するのは良くない。じゃぁどう思えって言うんだ!」これは低テキスト文化です。「このオッサン、キッたねーなぁ」「臭そうだなぁ」「そばによりたくないなァ」「隣りに座らないでほしいなぁ」と、ここまでくると、これはもはやノーコンテキスト文化(無コンテキスト文化)です。みのもんたとか、一昨年の選挙で民主党に投票してしまった人たちに、これに近いものを感じますが、こういった国民性では、マスコミや悪辣政治家や目の前にぶら下げられたカネにいともたやすく騙されます。目の前にある状況の背景に考慮が及ばないからです。

英語の文法には、完了形というのがあります。現在完了は、「過去と接点を持つ現在形」という説明のされ方をします。つまり、現在の状態に至った背景が考慮されているのです。この用法に対応する文法が日本語に見当たらず、学生がこの章の単元で苦労することの原因の一つは、「実は日本は低コンテキスト文化である」ということが関係しているのではないか思います。

「リファクタリング・ウェットウェア」は、目的をもって購入したものではないだけに、一つひとつの言葉が発見に繋がりそうです。色々なことを考えながら、ゆっくり読み進めようと思います。



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Written by: dicdic
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161:音声版「もしドラ」を聴きました

2011/02/05 (Sat) 00:52
最近は、本屋さんの開いている時間に帰宅できることは
まったくなくなり、SQLの学習や仕事の書類以外の活字から
まったく遠のいていました。
すると、生活にいろいろと支障が出てくるようになりました。

① 仕事中、みんなの話についていけない。
(理解が非常に遅い)

② 嫁さんの言葉を聴き間違える
(ちょっとでも聞き辛い発音だったりすると
別の言葉と聴き間違え、ものすごく叱られる)

③ 仕事の効率が悪い
(マキが効かなくなってきた)

言葉を理解する脳の部位が衰えると、脳全体の機能が低下すると
聞いたことがあります。 しかし、電車は肩も動かせないほどの
鮨詰め状態で本を開けないし、帰りのすいた電車では、
OracleMasterの勉強に集中しているため、普通の本は読めません。

そこで思い切って、オーディオブックに手を出してみました。
オーディオブック FeBe

倍速版もあるということで、脳の活性化には良いと思い、
手始めに、読みたいと思っていた、話題の「もしドラ」の
音声版を購入してみました。

AKBのメンバーが朗読していると知ったときには、正直、
「けっ!」
って感じでしたが、聴いてみると、これがなかなか上手。
倍速でも聴きやすい丁寧な発音と優しい声で、最後まで
何の問題も感じずに聞くことができました。


倍速で聞いたので、約3時間で聞き終えました。

さて、実際のストーリーの中身ですが...、
「マネジメント」「マーケティング」「イノベーション」
という3つのキーワードを中心に野球部の改革に
取り組む様子が描かれています。
前半は原著からの引用も多く、なかなか面白かったですが、
夏の予選が始まって以降は、引用もほとんどなくなり、
ただの野球少年と女子マネージャの青春モノになってました。
もともと野球をほとんど知らない私にとっては、
活字で読んだらさぞかし苦痛だっただろうと思いを巡らせ、
音声にしておいてよかったとつくづく感じました。

それでも物語としての体裁を一応整えているので、
それなりに感じるものはありました。
強く推奨というわけではないけれども、
読むのは(聞くのは)無駄ではないと思います。

音声で言葉を拾い、意味を理解していくことは、
活字を拾うのとは別の意味で集中力を必要とするので、
これしこれでアリだと感じました。
しばらくは、音声版で本を楽しもうと思います。
今度は「マネジメント」の音声版があれば、
ぜひとも聴いてみたいと思いました。
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Written by: dicdic
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151:100冊達成

2010/09/26 (Sun) 18:33
6月から始めた100冊読破プロジェクトですが、
どうやら先週、100冊を達成したようです。
この企画はこれにて終了となります。

この企画を進めるにあたって、「読書メータ」
というサイトを活用しました。しかしこのサイトには
様々な面で問題があるように感じました。

コメントの入力可能文字数が少なすぎる
 Twitterを意識しているためか、読者自身のための
 リマインダとしてのコメントを入れるような余裕が
 無い。VARCHAR2(2000)は欲しい。

利用者を「利用」した金儲け
 amazonを経由した利益が結局、「読書メータ」の
 サイト管理者へ流れるようになっている。

漫画オタクがうざい
 ランキング上位に入る人の読破リストを見ると
 マンガがズラリ。「マンガ読み漁りは読書と呼ばない」
 とまでは言わないが、いくらなんでもこれでは、
 純粋に読書を楽しむ人達のコミュニティとしては失格。

書籍の表紙サムネイルをamazonに100%依存している
 amazonで出品している本しか登録できない。

結局、「コンテスト」の色合いを強めてしまう
 読破数を時系列で追うという構造を持った時点で、
 見えない相手との「コンテスト」になってしまうことは
 避けられない。結局、中身ではなく数字の張り合いや
 自己満足になってしまう。

コミニティへの参加はヒマがないとできない
 通勤に往復3時間、労働時間15時間の私には不向き。



100冊読破の企画は今日で終了ですが、
活字に対する貪欲さは持ち続けたいです。

来週からいよいよ英語学習の企画に突入です。

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111:「《子ども》のための哲学」 (永井均) を読みました

2009/05/19 (Tue) 21:45
先日、竹田青嗣の本を読んだ流れで、永井均の本も読んでみようということになり、「《子ども》のための哲学」を読んでみました。 

まず読んでみてすぐ分かったことは、これは子供向けの本ではない、ということです。 タイトルにある《子ども》というのは、《子ども》の発する問いを理解できる、または覚えている人という意味に捉えることができると思います。 
20090519.jpg

「《子ども》の発する問い」の一つは次のようなものでした。 
「この世は自分一人の人間のために演じられている大がかりな劇なのではないか」
筆者が子供のころに抱いたこの疑問は、私も共感できるものでした。 私自身が子供のころにぼんやりと抱いていたこの独我論をそのままなぞったようなこの記述は、私が生まれて初めて触れるもので、とても驚きました。 しかし、「自我」、「自意識」、「わたし」、「ぼくはB」、「ぼくではないB」。 こうしたつきつめをしていくと、自意識ではなく「魂」とも呼ぶべきものを相手にしていることに気づきます。 ここまでくると、考える対象は「意識」ではなく、「命(生命体とは違う)」ということになってきます。 「これらは結局、形而上学的な問いであると言えないだろうか」、そう思ったとき、興奮が冷めてしまいました。 これは「哲学」ではなく「宗教」ではないか? しかし永井さんは、その可能性については触れません。 自己満足の世界でクローズせざるを得ないことを延々と考え続けることも、哲学と呼んで良いのだと知りました。 

永井さんの思考方法は、確かに非常に注意深いし、共感できる部分がとても多いのですが、僕自身の感度としては、これを「哲学」と呼ぶには、他者と共有・共感できる領域が狭すぎるのではないかと思いました。 フッサールっぽく言えば、エポケーしなければならない部分が多すぎるのです。 
「これが僕の意見だから、よろしく。  ま、べつに読んでくれなくてもいいけどさぁ」
こんな調子にしか聞こえません。 しかも巻末近くなって、永井さん自身、これを認めてしまっています。 ここでがっかりしてしまう人と、「やはりそうか」と納得できる人との違いは、「哲学を学ぶこと」と「哲学すること」を区別できているかどうかの違いなのではないかと思います。 それにしても、『「哲学する」ために「哲学を学ぶ」』ことが、そんなに有害なことなのかしら? 確かに、過去の哲人の思考パターンにコミットしてしまう人は多いかもしれませんが、みんながそうなるわけではないし、そうならないように注意すればよいだけなのではないかと。 

「自分で考えたい」のか、「学びたい」のか。  仮に哲学に無垢な人が幸運にもこの本にめぐり合ったとして、その無垢な人が、無垢でありながらも、「哲学に何を求めるか」によって、この本の感触は違ってくると思います。  

私も「自分で考えたい」です。 しかし過去の哲人の智恵と絡ませながら昇華していけるような思索を馳せるには時間がなさすぎるし、自己満足に終りたくはありません。 だからまずは「学びたい」という意識を持つのではないかと思います。 


「学問」は、どんな領域であれ、人間の役に立たなければ意味がありません。 哲学は、他者と共有できる領域をいかに見出せるかというのが、大きなポイントです。 それが見出せたら、その他者と共に新しい領域へと一歩踏み越えていかなければならないと思うのです。 この辺の、哲学に対する「感度」の違いが、永井さんと竹田さんの仲の悪さ、すれ違いの理由だと感じました。 立っている土台が違うので、話して分かるものではないと思いますが、永井さんは、竹田さんを無理やり自分の土俵に連れ込もうとしているようにも見えます。 これでは竹田さんに相手にしてもらえないのも当然のような.....。 

今回の竹田さんと永井さんの読み比べ。  たったの1冊ずつですが、2冊目を読んでみたいと思えるのは、竹田さんのほうでした。  永井さんのほうは....機会があれば、『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩)を読んでみようかと。 

現在は竹田さんの『哲学ってなんだ』(岩波ジュニア) を読んでいます。 

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